KJ法がKJ法と名づけられるより以前、それは「紙キレ法」と呼ばれていた。
先般のKJ法経験交流会の参加者の中にも、その時代から参画している方もおられたし、KJ法という呼び名より「紙キレ法」という呼び名の方がとっつきやすい、という人もいた。
それは、ともかく、
KJ法は、紙キレ法ではない、というのが私の考えである。
「紙キレ法」では、情報の断片を紙に書き、それらを配列し・・・、といった、どちらかといえば単なる技法的側面が強い印象がぬぐえない。
「KJ法」は、よくもわるくも、川喜田のK、二郎のJ、であり、川喜田二郎の情報マネジメント術なのだ。
「術」と書いたが、それは、川喜田二郎という人間に裏打ちされているものである。彼の思想・哲学と技術は切り離すことができない。一体になっている。
だから、面白い。