2008年7月1日火曜日

第32回 KJ法経験交流会 14日プログラム 感想(10) 絵画におけるリアリズム

第32回 KJ法経験交流会、懇親会になった訳であるが、ここで再び自己紹介となった。

自己紹介は既にしているのだが、今度は、川喜田先生との出会い、といったテーマで各自、語るのである。

まるで、川喜田先生がお亡くなりになってしまったようだが、まだ生きておられるので誤解なきように・・・。ただ、今は、体調が良くないので出席していない。

しかし、ここでの自己紹介は、自己紹介というより"故人"への思い出話であるかのようだ。

ある人は、川喜田先生に会ったら、いろいろなことを聞きたいと思っていた、しかし、実際にお会いしてみると、どうもうまく会話ができない。川喜田先生と、喜美子夫人と、3人で話す分には、話ができるのだが、ふたりっきになると、何を話していいのやら・・・という話をした。

私は次のような話をした。私がマネジメントの勉強をしている際のテキストに、KJ法とか川喜田二郎という名前が出ていたので、私にとっては殆んど歴史上の人物であった。ラベルを熱心に読む熱心な姿が印象的だった・・・。

更に、川喜田氏の「絵画におけるリアリズム」と称した論文について触れた。ここには「絵画は眼に見るものを書くのである」という論旨が展開されている。

実は私にも同じような経験がある。私は絵を描くことが趣味で、小学生の時は図工部、中学・高校と美術だったのだが、だからといって絵を理解していたわけではない。ピカソを見てもよくわからない。

ところが、近年、詩をつくるようになった。それは私のものの見方に影響を与えたらしい。たまたま立ち寄った美術館でピカソの絵を見たとき、ピカソは、眼に見えているものを描いているのだ、ということをその時はじめて直感した。

川喜田氏が「絵画におけるリアリズム」という小論を書いたのは、19才の時である。彼の天才性がその文章に凝縮されている、と私は感じる。彼の感覚と、私を含めた一般人の感覚には、大きな隔たりがあるのだ。

川喜田氏が、「KJ法は21世紀にならないと理解されない」と語ったのは、あながち誇張ではない。

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